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no rain,no rainbow

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駿

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だいぶ時間が経ちましたが、駿が昨年の平成25年11月26日、他界しました。

数年前から数ヶ月に一度発作が起き、いきなり倒れて苦しそうに呼吸し、手足をつっぱり、よだれや糞尿といった症状でした。

そのたびに死を覚悟しましたがその後二年ほど持ってくれました。

症状が11月に入ってから急激に悪化し、それまでたまにだった発作がすくなくなったものの、今度は足腰に力が入らず立てなくなってしまってしまいました。



そこからはあっという間でした。



最初は犬小屋に入れなくなってしまったようで朝ごはんを持っていくとずっと立っていたのか、疲れている様子でたまに腰が濡れていたりしました。

おかしいと思い様子を見ているとやはりうまく入れないよう。

目も白内障が進みあまり見えていないようでした。

スロープを犬小屋の前に取り付けてもらいましたがうまくいかず、いっそのこと家に入れようと思いましたが、相方としては玄関が限度だそうで譲歩して玄関に寝床をしつらえました。



でも玄関だと外もみえずいきなり環境が変わってしまうのでダメだと思い、風除室にしました。

本当は今まで11年の間何度か家で飼おうとしたのですが、駿本人もどうもなじめず、あまりに強いても
かわいそうだし、相方も小さい頃から家にいなかったからどうだろうということもありまして、結局外で飼っていました。

慣れればいいと思っていましたし、犬のほうが本来は群れで暮らす生き物だし、など思っていましたが、これまで猫を拾ってきてもいやいや受け入れてくれて、結婚のときもお互いの猫(拾ったのは自分ですが)を飼うことも了承してくれた相方の意見を突っぱねることもできず。

結果、これから寒くなってしまう季節に風除室で二週間ほどすごしました。

これから介護生活かな、と少し及び腰でしたが、どうせ今育児中で家にいるし、つれてきた以上最期まで看ようと思いました。

湯たんぽで暖をとってもらい、たまに散歩もしましたが、ご飯も食べられなくなり、色々思考錯誤しましたが、大好きなビスケットだけは最期の前の日まで食べました。

夜中、寝ているときに何か聞こえた気がしましたが、そのまま寝てしまった自分を今でも悔いています。

朝、相方が「駿が死んだ」と次男と寝ている二階に来て言いました。

冷たくなってしまった駿に、今までもっとなにかしてあげられたのではないかと今でも思います。

11年前、通勤途中の空き家に取り残されて大家さんにかろうじてご飯をもらって生きていた駿。

気になって近所の通りすがりのおばちゃんに色々聞いて、結果もらってきました。

当時まだ彼氏だった相方と一緒にもらいにいき、最初は何も吠えなかったのが、だんだん吠えるようになりました。

他の人には無言なので、よく宅急便や近所の人にはおとなしいねー、と言われましたが、私たちが帰ってきたり、ご飯がほしいときはよく吠えました。

お手やお座りも覚えてくれました。

病院では、歯や目のかんじで13歳くらいだろうと。

それから11年。

よくがんばって生きたなあと思います。

ただ、今でも思うのが駿は本当にこれで幸せだったのかなと。

動物の気持ちはわからないけど、人間と同じだと思うんです。

さすがに野生の動物は相容れない部分もありますが。


結婚してから妊娠して、引越しました。

新しい環境の中長男、次男が産まれて、駿とあまり前のように接していなかったような気がします。

すごく後悔しています。

もっと駿との時間を持てばよかった。

寂しくなかったかな。


長男は初めて死に触れて、最初は戸惑っていましたが、火葬場に行って焼いてから、もう会えないと教えると何か理解したようで泣いてくれました。

散歩に行ったりはしましたが、家に帰ってきても駿はスルーだったりしたので泣くと思いませんでした。

繊細で優しい子なので、感受性がきちんと育っていてよかったと思います。

そのとき言い聞かせたのが、駿はいないけど見えないだけで長男や私たちを見ているよ。

もう自由だからお外の犬小屋にいたり、おうちにいるかも。

たまにお星様になって見てるよ。

と。

三ヶ月ほど経ちますが、今も星を見ると「ママ、駿だよ」と星を指差したり、祖母に「駿~」と泣いたりするそうです。







今はどこにいるかわからないけど、また何か縁があったらうちに来るのかなあ。


もしそうなら次も最期まで看たいと切に願います<神様。


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